スーパー戦隊シリーズや平成仮面ライダーシリーズなど、かつては児童向け番組としてマイナーな扱いを受けていた特撮作品も今や市民権を得て、ひとつの映像文化として認知された。
特撮という言葉から一般的に連想されるものは、着ぐるみを身に纏ったヒーローや怪獣が登場する作品という意味で扱われやすい。
だが特撮という言葉の本来の意味は、特殊撮影技術を略したもの。
非現実的な映像を創り出す為の技術ということで、児童受けしやすいヒーローものや怪獣もの、SFものに欠かせないものである為に上記の様な印象を持たれる事になった訳である。
現実には多くの商用映像作品で当たり前の様に特撮技術は使われている。
特撮の神と称されるのが日本映画界の特殊撮影技術の第一人者である円谷英二である。
1901年(明治34年)誕生、1970年(昭和45年)死去。
彼の人生は活動大写真と呼ばれた明治時代の黎明期から、家庭用テレビ普及による映画斜陽期を迎えた東宝解体までの日本映画界の歴史とそのまま重なっている。
その間にカメラ技術、ミニチュア技術、合成技術、編集技術といった様々な特殊撮影技術を発明し続け、日本映画界の発展に大きく貢献した。
幼少期に鑑賞した活動写真に大きな影響を受け18歳で映画界入り。
1933年には人形をストップモーション撮影することで巨大生物を表現した怪獣映画の金字塔、アメリカ映画『キングコング』が日本上映され、その斬新な映像表現に円谷は大きな影響を受けた。
1937年には株式会社東宝が設立し入社、特技課所属となる。
そして自身の設計による国産初のオプチカル・プリンターの制作を開始。
光学合成技術の発展に精力を費やした。
1941年の太平洋戦争期には、軍の要請により戦意高揚映画を制作していくことになる。
1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』では特撮監督として就任。
精巧なミニチュアセットでの戦争シーンの他、実物大のオープンセットを組んだ航空母艦など実写記録フィルムに疑われる程のクオリティを放っていた。
戦後は1954年公開となった日本初の着ぐるみ怪獣映画である『ゴジラ』を皮切りに、特撮・怪獣映画を多数手掛けることに。
特撮技術がふんだんに使われた斬新な映像は海外の映画界にも多大な影響を与え、世界に名を轟かせることになった。
翌年の『ゴジラの逆襲』では世界でも類を見ない特技監督の名を与えられた。
海外人気も高かったゴジラシリーズは、外貨取得の為に継続して作られていくことになった。
1950年代の映画黄金期を経て、1960年代半ばになると東京オリンピックの開催に伴い家庭用カラーテレビが普及し始める。
円谷特技プロダクションを設立し独立した円谷も、それに合わせてテレビでの作品制作に参加。
そうして誕生したのがウルトラQ、そして国民的ヒーローであり特撮ヒーロー作品の金字塔・ウルトラマンである。
テレビ普及に伴い映画界は斜陽の時期を迎え、1970年に円谷は68歳で死去。
同年に東宝は特殊技術課を廃止。
その後は多くの人が承知のとおり、映画制作会社は配給事業を主とし制作は外部制作会社やテレビ局主導のものが増え、直営の映画館もシネマコンプレックス事業の拡大に伴い数多く閉鎖していった。
まさに、日本映画界の歴史そのものな人生であった。
戦後9年経った1954年。
ビキニ環礁で行われていた核実験、そして水爆実験により被爆した第五福竜丸被爆事件が社会を震撼させていた。
これに着想を得て作られたのが、水爆実験によって蘇った太古の恐竜が日本を襲うという日本のモンスターパニック映画の元祖・『ゴジラ』である。
テーマは反戦・反核。
核実験によって平穏な住処を破壊されたゴジラが、戦後復興した首都・東京を再び焦土と化す。
まさに戦争の災禍・核の恐怖・人類への報復として描かれたのがゴジラであった。
そのゴジラには核実験による怒り・悲しみも含まれており、最後は再び大量殺戮兵器で葬らなくてはいけないという人間のジレンマ、人間のエゴも見事に描ききっている。
特撮映画・怪獣映画の金字塔というだけでなく、日本映画史においても重要な位置付けが成されている傑作映画である。
非日常的な世界を見事に映像化した今作は、国民の10人に1人は観賞した程の大ヒット映画となった。
私自身は世代ではないのだが、幼少の時にゴジラシリーズの再編集したビデオを親に買い与えられたのか?
いつの間にか所持しており、それを鑑賞し大きな影響を受けた。
その中で特に好きだったのが、ゴジラ映画の醍醐味である都市破壊シーンのリアリティである。
ゴジラ映画といえば日本の各地の都市や名所をミニチュアで再現し、それを破壊するシーンが見せ場の一つ。
作中で扱われた場所は当時の世相を映すものが中心になっており、ご当地映画的な魅力も併せ持っている。
日頃見慣れている光景が破壊されていく様は恐怖感を煽るものでもあり、ましてやミニチュアのクオリティが高い場合には思わず感心してしまうこともある。
巨大ヒーロー作品などにも都市のミニチュアは登場するが、それらの多くは都市再現では無い無機質なビル群であったり、再現されていても質感がいまいちなものが占めている。
主役がヒーローであり怪獣ではない為に、都市破壊を見せ場とする必要性があまり無い為だからだろう。
円谷はミニチュアによる都市再現に細部までこだわり、実景写真と見比べながら寸分違わないように統一スケールで制作した。
生活感を出すために電信柱や電線、車や看板なども忠実に再現した。
奥行には特にこだわりを見せてきた円谷ということで、ミニチュアの各所にはパースペクティブ(遠近法)を取り入れていた。
この技法はゴジラシリーズにおいて、ずっと伝えられていく技法のひとつとなっていく。
今回からはゴジラが襲撃した都市や建造物などをミニチュア撮影シーンを中心に振り返っていきたい。
忠実に再現されたゴジラシリーズのミニチュアからは、一時代の背景を写すものとしての味わいと資料的価値がある他、特撮技術の歴史と進化そのものが感じられるものだと思う。
最初は特撮作品全体でまとめていこうと思ったのだが、あまりにも膨大すぎたのでゴジラシリーズを中心とし、一部はオマケという形でその他の東宝怪獣映画、及び大映製作のガメラシリーズからも加えて行なっていくことにした。
ウルトラシリーズにも実在地のミニチュアが登場したエピソードがあるが、これも全て加えると膨大な量となってしまうので、こちらはほんの一部だけとし怪獣映画メインで書いていきたい。
また山岳地帯や港湾関係は除外し、ビル街を中心にまとめていく。
ミニチュアの造形美・技術・質感を楽しむコンセプトでいきたいので、実景合成シーンはオマケとして扱うことにする。
初回は勿論、
『ゴジラ(1954)』である。
劇中でのゴジラ東京襲撃ルートは、1度目の上陸では品川地区。
2度目の上陸では芝浦岸壁→札の辻→田町駅前→新橋→銀座尾張町→銀座4丁目→数寄屋橋→国会議事堂→平河町→上野→浅草→隅田川→勝鬨橋→東京湾となっている。
一部は東京大空襲での襲撃地点と同じ他、商業映画ということで破壊描写にインパクトを与える意味でも当時の東京のシンボリックな建造物が存在する地点を押さえた観光ルート的なルートになっている。

東京初上陸地点となる記念すべき場所は品川。
海からやって来る怪獣の為、品川方面は後続作品でも多く登場する。
品川駅国鉄操車場近辺で列車を襲撃。
更に駅付近にある八ツ山鉄橋を破壊した。
ゴジラ初上陸の地点という事を記念し、JR品川駅の1番ホームにはゴジラを思わせる恐竜のイメージを模したプレートが埋められている。

二度目の上陸は芝浦埠頭方面から。
商店街やガスタンク(東京ガス芝供給所)を破壊。
水爆実験の影響を受けたゴジラは口から放射能を帯びた白熱光を吐く能力を身に付け、人類を恐怖の底に叩き落とす大怪獣となった。


札の辻から田町、新橋を経由して銀座に到着したゴジラ。
ニッポンビール(現:サッポロビール)本社ビルを押し倒したゴジラは続けて、銀座松坂屋に向け白熱光を吐く。
松坂屋は炎上した。

銀座4丁目交差点にそびえ立つのは、当時も今も変わらない銀座のシンボルである銀座和光ビル。
服部時計店(現:セイコー)のビルで、このビルの高さに合わせてゴジラの身長は50mと設定。
ミニチュアは1/25スケールで統一されて制作された。
和光ビルの時計塔から11時の鐘が鳴り響く。
この音に反応したゴジラは時計塔を叩き壊してしまった。
松坂屋と和光ビルの破壊は無許可だった為、抗議を受けたエピソードは有名。
後の作品では許可を取ってからの建造物破壊となるのだが、業績への貢献や観光PR効果というジンクスが誕生する事になる。
ちなみに和光ビルは怪獣プラネットゴジラ(サンリオピューロランド上映用作品)で再び登場した。
信じられません!全く信じられません!
しかもその信じられない事件が、我々の眼前において展開されているのであります!
今やゴジラが通過した後は炎の海と化し、見渡せば銀座尾張町から新橋、田町、芝、芝浦方面は全くの火の海です!
只今、ゴジラは移動を開始しました!
どうやら数寄屋橋方面に向かう模様であります!
テレビをご覧の皆様!これは劇でも映画でもありません!
現実の奇跡!世紀の怪事件です!
我々の世界は一瞬の内に、200万年前の昔に引き戻されたのでありましょうか!?
かつて晴海通りに存在していた数寄屋橋を踏み抜くゴジラ。
橋は後に高速道路建設の為に外堀が埋め立てられ消滅した。

そして日本劇場(現:有楽町マリオン)を破壊。
東宝の映画館であり、ゴジラを上映していた劇場を劇中で破壊されるという映画的なお遊びでもあった。

特設災害対策本部が置かれた丸の内旧都庁(現:東京国際フォーラム)にゴジラが迫る。
慌てて逃げ出す職員達。
直後に建物は破壊された。

続いてビルの破壊シーンがあるが、外観的には旧都庁では無いと思われる。
看板の雰囲気から百貨店の様にも見えるが、銀座松屋では無さそうなのだが…

日本の象徴である国会議事堂を破壊するゴジラ。
造船疑獄などによる吉田茂内閣への国民の政治不信が高まっていたのもあり、この破壊シーンでは観衆の拍手が巻き起こった。
製作サイドが狙ったもので無かったらしく、偶然にも恐怖の対象が国民の代弁者となった瞬間であった。
ゴジラの巨大感を表現する為に、国会議事堂シーンのみ縮小したスケールでミニチュアが製作されている。
首都の惨状を伝える為にGHK(ゴジラ放送協会)実況放送班が配置されていた平河町テレビ塔(現:千代田放送協会)にゴジラが迫る。
こちらはMS短波無線機による実況放送班であります。
ゴジラは只今放送を送っております、テレビ塔に向かって進んでまいりました!
もう退避しろとの言葉もありません!我々の命もどうなるか…
ますます近づいてまいりました!いよいよ最後です!
右手を塔にかけました!物凄い力です!いよいよ最後!さようなら、皆さん!さようなら!ゴジラの怪力でテレビ塔はグニャリと曲がり、実況アナウンサーらは転落していった。
災害報道の危険さを表した名シーン。
最後の最後までメディアに関わる人間として命を全うした姿が、子供の時に観た時には衝撃的だった。
ゴジラが破壊した初のタワーがこの平河町テレビ塔であった。
怪獣が破壊するお決まりの巨大建造物といえば東京タワーを思い出すが、この1954年は施工前。
1958年に完成し、1961年の『モスラ』で幼虫モスラが繭を作るためにタワーによじ登り破壊したのが最初のケースとなっている。
ゴジラによる東京タワーの破壊は2003年の『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』が初。
近い年代設定で言えば『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(時代設定1959年)でゲスト出演したフルCGのゴジラによる破壊が挙げられる。
東京タワーについてはまた後の更新で。

最後に破壊するのは隅田川に架かる可動橋(現在は跳開しない。)で、夜間ライトアップが美しい橋となっている勝鬨橋。
海へと戻るために橋をひっくり返していった。
大空襲から復興した東京は、再びゴジラの襲撃によって焦土と化した。
成すすべもなく逃げ惑い立ち尽くすだけの人間達。
被災者で溢れかえる臨時救護所。
ゴジラがまき散らした放射能は、無辜の児童にも及んでいた。
ゴジラを倒す為に用いられた最後の手段は、水中の酸素を一瞬にして破壊し、あらゆる生物を死滅させ溶解するオキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)だった。
開発者の芹沢教授は第三の軍事兵器として扱われる恐れから使用を拒むが、平和の為に一度だけの使用を許可した。
だがそれは、芹沢教授の命と引き換えとなるのだった。
あのゴジラが最後の一匹とは思えない…
もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかに現れてくるかもしれない…初回から既に完成されていたゴジラ映画。
精密なミニチュア類に、実写実景合成の巧さ。
モノクロ作品である事が幸いし、まだまだ発展途上段階だった特殊技術の粗があまり見えなく気にならない。
その為に後発の作品に比べて非常に記録映画のようなリアルな映像に感じることができる。
社会的なメッセージを込めた特撮作品は少なくなった。
個人的には今一度人が強く生きなくてはいけない現在にこそ、そういった作品が求められているようにも思うのだがどうだろうか?